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【#9】映画『グラン・トリノ』に見る米国の中のアジア


国際部 シニアアナリスト

クリント・イーストウッドが監督・主演を務めた映画『グラン・トリノ』(2008年公開)は、同氏の代表作の一つで、ご覧になった方も多いと思います。主人公は、デトロイトにあるフォードの自動車工場で働いていたポーランド系米国人。従軍経験のある精悍な老人ですが、妻に先立たれ、子どもとも離れて独り身に。愛車のグラン・トリノと愛犬を心の支えに、数少ない友人と憎まれ口などたたき合いながら、隣に引っ越してきたアジア系の家族に対して悪態をつく毎日を送っていました。


しかし、ある出来事をきっかけに、このアジア系の家族との不思議な交流が始まり、最終的には彼らを守るために驚くべき決断をします。映画を見終わったとき、私の心に残ったのは、滅びゆく者の郷愁、葛藤、贖罪、そして未来につなぐ意志でした。エンディングで流れるジェイミー・カラムが歌う主題歌も、深く切ない余韻を残します。


ところで、主人公が交流したアジア系の家族がどこの出身だったかご存知でしょうか。彼らは、中国南西部と東南アジア(ラオス、タイ、ベトナム、ミャンマー)の山岳地帯に住むモン族という人々でした。


ラオスでは、ベトナム戦争中に多くのモン族がCIAに協力して共産勢力と戦いましたが、ラオス人民革命党(共産勢力)が勝利して政権をつくると、その多くは国外に逃れることを余儀なくされました。米国は彼らの亡命を受け入れ、カリフォルニア州、ミネソタ州、ウィスコンシン州、そして映画の舞台となったミシガン州などに大きなコミュニティが形成されました。


『グラン・トリノ』の主人公は、朝鮮戦争に従軍した経験から、アジア人に対して複雑な罪のような感情を抱いていました。そして彼が出会ったモン族の人々はベトナム戦争の犠牲者。その出会いの舞台はデトロイトでした。かつて自動車産業で栄え、グラン・トリノのように古き良き米国の栄光を体現しましたが、時代とともに衰退し、「ラストベルト」と呼ばれるようになった場所です。


その地で主人公もまた老いと孤独に直面していましたが、モン族のようなアジア系移民が風景を変え、主人公の心にも新たな風を吹き込みました。美しかった過去を大事にしながらも、変化を受け入れ、未来に向かって進んでいく姿が描かれる中で、米国におけるアジア系移民の歴史は重要な役割を果たしていたのです。


またモン族について考えるとき思い浮かぶのは、2020年にミネソタ州ミネアポリスで起きたジョージ・フロイド氏の殺害事件です。全米でブラック・ライブズ・マター(BLM)運動を引き起こす契機となった歴史的な出来事でしたが、現場に居合わせた警官の1人がアジア系だったことに気づかれたでしょうか。彼の名前はトウ・タオといって、モン族の出身でした。


さらに、フロイド氏を地面に抑えつけた警官デレク・ショーヴィンの妻もモン族の移民でした。先に述べたとおり、ミネソタ州はモン族の移住者が多い地域で、ミネアポリスの隣にある州都セントポールには米国で最大のモン族コミュニティがあります。同じマイノリティーでありながら、モン族と黒人の間には複雑な緊張関係があるといわれています。ここでも、米国におけるアジア系移民の歴史の影響を見て取ることができます。


このように、米国には各地にアジア人のコミュニティがあり、社会や政治に影響を与えています。例えばビルマ系米国人は、インディアナ州(インディアナポリス、フォートウェイン)、ミネソタ州(セントポール)、ミシガン州(バトルクリーク)などに多く、これらの地域ではミャンマーの問題に熱心な議員が多いです。


最近では、7月にミシガン州下院4区(バトルクリークを含む選挙区)選出のビル・ハイゼンガ議員とミネソタ州下院4区(セントポールを含む選挙区)選出のベティ・マッカラム議員がミャンマー軍政に対する制裁強化に関する法案を提出しました。米国のミャンマー軍政に対する厳しいスタンスの背景には、こうしたビルマ系米国人の影響もあります。


私はアジア新興国の分析を担当していますが、米国の存在感はどの国においても非常に大きいため、これらの国々と米国との関係を考察することは重要です。そして米国のアジア政策を理解する上で、在米アジア人の動向は一つの手がかりになります。私はカリフォルニア州に2年間住んでいたことがあり、西海岸におけるアジア系、特に日系と中国系の米国人の存在感はよく知っていました。


しかし、中西部におけるアジア系、それも東南アジア系の人々について詳しくなったのは、今の仕事を始めてからです。それから『グラン・トリノ』やフロイド氏の事件、ミャンマー問題をみると、今まで見えていなかった現実の一面が浮かび上がってくるように感じられます。こうした気づきを得ることも、深い分析をする上で意味があると思っています。これからも、現地での生の体験から映画やドラマに至るまで、あらゆる機会を通じて、様々なアジアの姿を自分なりに考えていきたいと思っています。



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