経済部 シニアエコノミスト
長期的に経済を考えるときの視点として、例えば、「循環」と「構造変化」が挙げられます。「循環」は景気循環のように、それぞれの因果関係に基づいて短期から長期まで幅広い期間で捉えられます。ただし、循環なのでいずれ元の位置、もしくはそれに近い状態に戻ってくることが前提になります。それに対して、「構造変化」というと、以前とは異なった状態になることが前提になります。言い換えると、循環という視点では、これまでと同じように知見が生かせる一方で、構造変化という視点では、これまでとは異なる新たな発想や考え方、取り組みが求められます。現実的には、循環と構造変化は必ずしも別々に生じるものではなく、同時期に生じることも多いため、これまでの知見と新たな発想が、共に必要です。
身近なところでは、デジタル化が構造変化を起こしつつあります。2000年前後にあったIT革命以上に、コロナ禍という外的なショックもあって、デジタル化が一気に広がったような印象があります。デジタル技術を活用することで、例えば、仕事のやり方が大きく変わりました。リモートワークのように会社に行かなくても、仕事ができる範囲が広がりました。店舗では、人手不足もあって、セルフレジやタッチパネル注文が普及しました。支払いはキャッシュレスが広がっており、2024年から発行開始された新紙幣も活躍の場が限られているほどです。これらの変化は、それまでとは大きく状況が異なるため、構造変化とみなせます。もちろん、こうした変化が生じる状況になるためには、PCやスマートフォン、タブレット型端末などをはじめとした情報通信機器・設備、インフラなどが十分に整備されている必要があり、設備投資の対象も変化しています。
また、働き方の変化に伴って、個人消費も変化しています。例えば、1日のうちオフィス近くで費やす時間が減少する一方で、自宅付近で過ごす時間が増えました。こうした中で、飲食がオフィス近くの飲食店やコンビニなどから、自宅近くの飲食店やスーパーなどへシフトしました。需要地が変化するということは、それに対する供給も変わることを意味します。また、量に加えて、質的な面も変化します。例えば、リモートワークによって、勤労者が昼間の住宅地で過ごすようになると、その食事の嗜好をとらえた商品を飲食店などの店舗は提供するようになります。それらの財やサービスを供給する物流網の変化、それらを提供する店舗を運営する従業員も含めて、人の流動も変化します。企業の設備投資や物流施設なども間接的に変化します。
もちろん、変わるものもあれば、変わらないものもあります。価値がなくなるものもあれば、価値を改めて見出されるものもあります。例えば、コロナ禍では日常生活を支えるエッセンシャルワーカーの重要性が再認識されました。働き手の安全の確保がサービス供給の確保とともに重要であり、賃上げや労働環境の改善などを含めて取り組みが求められました。また、デジタル化が進む中では、今回の設立20周年記念セミナーのように、リアル・対面でのコミュニケーションの重要性も再認識されました。価値観や考え方が変わることで、ビジネスも変わり、結果として経済成長も大きな影響を受けます。
構造変化を引き起こすものとして、デジタル化に加えて、例えばグリーン化も挙げられます。コロナ禍後の課題として、デジタル化とグリーン化が世界のコンセンサスになりました。これらは、まだ始まったばかりで、課題も山積しています。長い視点で課題とされていることは、経済・社会を大きく変え得るものなので、その大きな変化が需給の関係、そしてビジネスにどのような変化をもたらす可能性があるのかという視点からも考えておくことが重要です。
さて、視点を少し近い将来に戻して、日ごろ担当している日米欧経済について考えてみます。日本経済では、「物価が上昇する世界」と「金利のある世界」がキーワードになります。例えば、ここ20年以上、あまり考慮しなくてよかった金利の役割が大きくなります。例えば、預金金利が上昇しました。金利収入が増えるということは、その半面、金利の支払いも増えるということです。住宅ローンや企業の運転資金などの金利も上昇します。企業にとっては、金利以上の収益性が求められるという一面もあります。また、国債発行に伴う利払いも増加します。実際、欧州などの先進国や新興国では、高金利の中で、債務が大きな問題になっています。リスク回避の点から、日本経済だけ例外と思うことはできません。
また、「物価が上昇する世界」に、日本経済もようやく踏み入れています。原材料価格を販売価格に転嫁していく、普通の世界と言えます。コロナ禍前までの日本経済のように、物価が上昇する海外からの輸入品を使っていく中で、国内価格を据え置くことは至難の業です。企業は、創意工夫という名の生産性の向上や円高方向に推移した為替相場の変動、賃金・利益の圧縮などでコスト高に対応していました。しかし、コロナ禍後の限度を超えた歴史的な物価高騰によって、そうした価格設定はできなくなりました。また、生活費の高騰という切実な問題から、賃金の引き上げは当然です。人手不足が深刻化した上、人材の見直し、企業経営のあり方、最低賃金のあり方なども議論の俎上(そじょう)に上ってきました。賃上げに伴う販売価格の引き上げを巡って、独占禁止法や下請け法などを通じた規制当局の目も厳しくなりました。
足元の日本経済は、かつてのように「物価が上昇する世界」と「金利のある世界」に戻ってきました。しかし、その世界にいたのは20年も前のことであり、現在とは勝手が違うことも少なくありません。また、それらの世界で生活していたり、働いていたりしたという人も必ずしも多くありません。循環しているようで、構造変化もしている日本経済への適用が必要になっています。
ユーロ圏経済は、厳しい状況にあります。歴史的な物価高騰に伴う急ピッチの利上げが奏功して、経済が軟着陸してから先の回復する姿が見通しがたいのが現状です。これまで、ロシアからのエネルギーに依存していたこと、中国との貿易関係を強化してきたことが裏目に出てしまっています。グリーン化を推進してきた中で、ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに計画が狂い、足元のエネルギー需要を満たすことが喫緊の課題になりました。そうした中で、割高でもエネルギーを確保せざるを得ない状況に陥りました。また、中国経済の減速が、重石になっています。成長する中国市場への輸出を強化してきた中で、中国経済の減速が直撃し、輸出が伸び悩むことになりました。
その一方で、構造変化も見られます。中国企業の競争力の高まりもあり、EVで顕著なように、ドイツ企業の競争力が劣位になるケースもみられます。実際、EUは追加関税で対応しているほどです。また、中国経済の内需の低迷から、安価な製品が海外に輸出されている一面もあり、欧州企業にとっては、それは競争環境のさらなる厳格化を意味します。足元にかけて、物価上昇率が縮小して、実質賃金が回復しつつあることは景気循環が上向くという意味で朗報であるものの、構造変化の先の成長の姿がまだ見えていません。
米国経済が、歴史的に急ピッチな利下げでも、軟着陸する可能性が高まっている点が懸念材料の一つです。不況にならないからよいことだという見方もありますが、金融政策が効きにくくなっている恐れがあるためです。もちろん、長い間、非伝統的な金融政策が実施されていたころに、企業や家計がその低い水準の金利で資金を借り入れたり、さらに固定金利として活用したりしていれば、利上げに伴って借入金利が上昇しても、利払い負担がすぐに増えるわけではありません。そのため、足元の利上げが利払い負担増などを通じて、住宅投資や設備投資などの需要を抑制する効果が小さい可能性があります。そうした低金利政策後という特殊な要因ならまだよいものの、そうでなかった場合には問題です。なぜなら、利上げが需要を抑制できないのであれば、金融政策の効果が失われている恐れがあり、物価高騰への対応策が限られているからです。また、金利が実体経済に影響を及ぼさないのであれば、今後、景気が悪化したときに金融緩和策を実施しても、景気を下支えできない恐れもあります。
政策金利を引き上げると、例えば、企業の設備投資や住宅投資、耐久財消費などの需要が抑制されます。また、自国通貨高の傾向になるため、輸出が抑制されます。利上げによって株価が下がり、逆資産効果によって、消費需要が抑えられることも想定されます。それらが結果的に労働需要を縮小させ、雇用・所得環境の悪化を通じて、需要の抑制につながります。これらの経路が途切れている、もしくは効果が小さくなっている可能性があります。コロナ禍など一時的な現象と想定される一方で、利上げが経済活動の抑制に効きにくくなっている変化もあり得ます。例えば、産業構造をみても、以前に比べてIT産業ななどサービス業主体の経済に変化していることなどが挙げられます。仮に利上げが効きにくいのならば、今度は利下げもまた効きにくくなり、次の危機時には金融面から手の打ちようがないということも想定されます。こうした構造変化の中で、家計や企業の行動がどのように変化するのか、ビジネスがどのように変化するのかもなかなか見通しがたいところです。
このように、「複雑化する世界での視点と発想」から今後の経済を考えると、「循環」と「構造変化」という視点も重要です。日常の業務や足元の状況と共に、将来に思いを馳せることも、先行き不透明な現在には必要なことだと考えられます。