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執筆者の写真SCGR運営事務局

【#7】過去20年の中東・北アフリカを振り返って~「アラブの春」と私

国際部 シニアアナリスト


筆者広瀬真司が撮影した高層ビル群を望むドバイ町中の風景が写っている
高層ビル群を望むドバイ町中の風景 (2023年筆者撮影)


過去20年間の中東・北アフリカを振り返ったときに最も大きな出来事といえば、やはり2010年末から2011年にかけて発生した「アラブの春(Arab Spring)」ではないでしょうか。「アラブの春」とは、北アフリカのチュニジアから始まり、エジプト、リビア、シリアなど他の中東・北アフリカ地域の国々へ徐々に広まっていった強権体制に反発する民衆による大規模抗議デモを指しますが、その結果いくつかの国でそれまで国を長年牛耳ってきた強権政治家たちが退陣を余儀なくされました。


デモの結果、政権交代と民主的な選挙の実施に至ったチュニジアやエジプト、デモは起こったものの政権側が抑え込んだバーレーンやヨルダン、モロッコ、そしていまだに内戦や国内での対立状態が続いているシリアやリビア、イエメンなど、その後の帰趨(きすう)は国によってさまざまです。シリアからは660万人の人々が内戦を逃れて国外へ脱出し周辺国や欧州へ向かい、難民危機が発生しました。イエメンでは内戦が長期化していることで、人々が食料不足による飢餓や感染症の蔓延に苦しんでいます。リビアでも、国内に東西2政府が併存する状態で対立が続いています。それぞれの国の対立に、諸外国がさまざまな思惑から政権側、もしくは対立する側に政治的・経済的・軍事的支援を行って問題を長期化・複雑化させていることも指摘すべき点でしょう。


ちなみに、まさにアラブの春が始まった2010年12月、私はちょうど新しい会社に転職してアラブ首長国連邦(UAE)のドバイに赴任しリサーチ業務を始めたばかりでした。仕事の関係上、その時のリサーチ対象は主にイラクや石油に関するものでしたが、日々新聞やインターネットで情報を収集する中で、中東・北アフリカのさまざまな国でのデモに関する情報も多く目に入ってきたことを覚えています。当時訪れたクウェートでは、デモ隊を治安部隊が取り締まる生々しい様子を、たまたま現地の知人の家から見たりもしました。


また、この一連の「アラブの春」デモで大きな役割を果たしたのがインターネットやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の存在でした。当時SNSといえば世界的にFacebookが大人気で、アラブの春の際にも若者が中心になってデモの日時や計画などを広く拡散するのにFacebookが活用されました。特にチュニジアやエジプトでは、民衆が体制に対する不満を爆発させるきっかけになった事件に関する情報(チュニジアでの若者の焼身自殺事件や、エジプトで警察の暴力によって亡くなった青年の写真)が広く拡散された結果、国を動かすような大規模なデモに繋がったこともあり、これらの国々での政権交代はFacebookの存在によるところが大きいとも言われています。


余談ですが、私は大学院で中東研究を学んでいた2005年に、「アラブ社会と文化」という授業の最終課題で「インターネットがイスラム社会に与える影響」という論文を書いており、その論文の中で、インターネットの市民社会への普及が進むにつれて、より自由な社会を求める人々と抑圧的な政府によるネット規制のせめぎ合いが激しくなっていくことに言及しておりました。それまでこの地域では、放送内容が厳しく統制された国営テレビチャンネルしか無かったような国もある中で、急に人々が世界中の情報にアクセスできるようになり、また自由に情報を発信できるようになったことで、さまざまに新たな動きが生まれ始めたのがこの時期で、当時中東研究者もその事象に注目し始めていました。


現在は住友商事グローバルリサーチで中東・北アフリカ地域担当のアナリストとしてリサーチ活動をしておりますが、日々の細かい事象の調査などとともに、「中東諸国では最近こういう事象が増えてきたな」、「今後こういった方向に進むのではないか」といった視点を中心に、中東・北アフリカ地域を取り巻く大きな流れや方向性を、より早く敏感に察知できるよう、日々さまざまなネットワークや情報源を駆使して情報収集・分析活動に取り組んでいます。

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