国際部 シニアアナリスト
インドネシアでは2月に大統領選が行われましたが、出馬したプラボウォ・スビアント国防相がソーシャルメディア上で軽快なダンスを披露し、ディズニーアニメのような自身のAIイメージキャラクターを駆使したことが話題を呼びました。スハルト権威主義体制下でエリート軍人だったプラボウォ氏のイメージは、「強い」「怖い」というものだったのですが、驚くべきことに、それは「かわいい」に変わり、若者の支持を得て、最終的に勝利を収めました。
トランプ米前大統領が積極的に活用した影響もあり、ソーシャルメディアは政治の世界においても極めて重要なツールになりました。その影響力はウクライナ戦争やガザ戦争でも明らかになりましたが、東南アジアや南アジアでは、かねてから多くの人々が愛用しており、その国の動きを見る上で重要な情報源となっていました。
ベトナムでは、言論の自由が制限され、国内メディアの発信は基本的に政府公認の情報で占められていますが、ソーシャルメディアでは驚くほどさまざまな憶測や噂が飛び交っています。7月に最高指導者であるグエン・フー・チョン書記長が亡くなりましたが、ソーシャルメディアには早くから死亡説が流れていました。クーデター後、メディアが統制されているミャンマーにおいても、ソーシャルメディアを見れば反体制派や市民の自由な発信があふれています。
ツイッターが始まったのは約20年前ですが、その頃から我々は、ソーシャルメディアを通じ、政治家から専門家、一般の人々を含め、多種多様な層からの発信を集めることができるようになりました。その質と量、即時性、影響力などにかんがみると、今やこれらの情報を無視して質の高い分析をすることはできないと感じられます。同時に、その中には怪しげな噂、誤った情報やデマ、フェイクニュースも含まれ、各国・各勢力の認知戦も盛んになっており、情報の真偽や重要性を見極める力も試されます。
私は主にアジア新興国の政治経済を分析していますが、こうした「情報の戦国時代」ともいえる状況の中で、いかに情報を集め、見極め、読み解くかは、非常に創造的で、チャレンジングな仕事です。しかも、住友商事グローバルリサーチのアナリストに求められるのは、ビジネス活動に資するインサイトを提供することですから、アカデミックな分析にとどまらず、ビジネスにとってどのような意味をもつのかまで考えなくてはなりません(この点については、最近、 スピーダ主催セミナーでもお話ししました)。
そのためには、政治経済の専門知識やビジネスの理解を深め、日々のデータや情勢のアップデートを行うことは当然として、そこからさらに、自分自身の中に確固たる思考の枠組みをもつことが重要と思います。これは一朝一夕に成るものではなく、さまざまなキャリアの中で得られた知見、人々とのネットワーク、現地の肌感覚、歴史や社会の理解など、全人格的な経験の蓄積によって培われるものです。
住友商事グローバルリサーチにはさまざまなキャリアや経験を重ねてきた仲間たちがおり(私自身もそうですが)、いつも刺激を受けています。ルチル・シャルマ氏は『ブレイクアウト・ネーションズ』という新興国の分析をした本の中で、生の現場を見ることの重要性を語っていますが、私も、大都市のみならず地方にも訪れ、専門家だけでなく、市井の人々などさまざまな人たちから話を聞くようにしています。
インドでは、たまたま空港で飛行機を待つ間に出会ったインド人の会社員の方からモディ首相の人気の理由について話を聞きました。インドネシアでは、スマトラ島の地方政府の担当者からジョコ大統領の現場視察の厳しさを教えてもらいました。
住友商事の駐在員とは日頃から連絡を取り合い、現地のビジネスの実態を知ろうとしています。映画やドラマからもさまざまな示唆を得ていますが(渡辺将人さんの『アメリカ映画の文化副読本』や笠井亮平さんの『『RRR』で知るインド近現代史』を読むと、こうした視点の意味がよくわかると思います)、インドでは映画界と政界に密接な関係があり、そうしたバックグラウンドの理解も意外なところで役立ったりします。
こうしてみると、インターネットやソーシャルメディアによって我々が得られる情報は、質的にも量的にも20年前から飛躍的に拡大しましたが、人間的な探求を泥臭く続けることの大切さは変わっていないように思います。昨今、AIが人間の仕事の多くを代替するようになると言われ、私自身も仕事で積極的に活用していますが、こうしたアナリストの「個」の力に取って代わることは、どこまでいってもそう簡単ではないように思います。
AIや余人にはできない、独自の価値ある分析を示し、この人であれば信じられると思ってもらえる存在になる。そうした気概をもって、日々、人と話し、現場に赴き、Netflixを見るようにしています。